〜鋼アニメ版、アーカイヴ文書〜 1

2005/08/05OPEN !   1〜シャンバラへの迷い道

こんにちは。
お暑うございます。
先にHPを作ろうと用意しておりましたが,なぜかブログに取って代わってしまいました。
まあどのみち、公開しようとは目論んでおりましたので,いい機会です。
ぼちぼちと改造しつつ,公開して行く予定ですのでよろしくお願いいたします!

……で,何故に突貫工事でこれを作ってしまったかと言うと,『鋼の錬金術師ーシャンバラを征く者』があまりにショックだったからです。
(ばかですね)。
なんか,言わなきゃ気が済まない!ので,御託を並べさせていただきます。
ただ,あくまでも個人的な思い感想ですので,その辺はご了承いただきたいかと。
ネタバレ有りだし,今のところ否定派意見ですので,その辺はお気をつけください、ね。

でもゆくゆくは鋼だけじゃなく,他の趣味やら日常の他愛無い出来事などにも触れていきます。
プロフィールにも書きましたが,石(簡単に言ってしまうといわゆる天然石,パワーストーン系.……賢者の石では有りません)おたくだし,凄いうんちく野郎だし,書くことには事欠かないと思います。

オープンそうそうお越しいただき有り難うございます!


2005/08/05映画ショック!      2〜シャンバラへの道は苦難

シャンバラ封切りからじき2週間ですねー。

私は初日には行かれずに28日に観たのですが,それから(寝込んじゃいないけども)キャスリンにふられた時のハボちゃん状態です(苦笑)。

映画館から出た後は、なんか考えがまとまらなくてあれも仕方ないとも思っていたけれど、日を追うごとにやっぱり違う!と反論ぶちかまさなきゃいられなくなってしまっています。

いきなり愚痴ブログはないだろうっても思うけれども,それに近いような文章で展開してしまうことを許してください。
だって,ものすごく大好きなものなんだもの。
自分の希望や理想と違う展開を嘆くのは愚かしいことかもしれないけれども,受け入れるには哀しすぎるから。

ただ,何もかも変化は当たり前ということで,そのうちに今の考え方も変わるかもしれません.
なんせ,まだ一度観ただけなので。
そうしたらまたここで語ります。

以下ネタバレも有るので,ご注意ください。
ーーーーーーー

ここ数日、思ったことをノートに書いていました。
で,細かい突っ込みやら理屈を言うより先に,
「もう感情論のレベルで,あの映画は気にくわない!」
ということです。

やっぱり,あんまりツラい話は楽しくない(あたりまえだけど)。
人の苦しみとかそういう姿を描くのはかまいません。
しかし,物語の質として,運命に揺さぶられっぱなしのエピソードのオンパレードはどうかと思います。
殊に鋼は,どん底から這い上がっていく人の姿に共感しているファン多しの話なんだから。
創り手(アニメ版スタッフ)が最上のものを目指しているのは、TV版もきっちり観ているのでよく判ります。
ただ上質を目指そうとすると,どうしても通常のものでは飽き足らずよりショッキングにとか過激にとかそんな欲が出てしまいがちなのかもしれません。
でもね,過ぎたるは及ばざるが如し。
あれでは,決していい意味の裏切りとは言えない持って行き方だと,私は感じました。

たかだか18歳そこらの小僧が達観した生き方、……元の世界とは違う世界でもそこがシャンバラ……なんて青臭いことメッセージとして言って欲しくない。
(ガキが粋がるなっ!て,気分はイズミ師匠)
弟と一緒ならばどこでもいいのか?
頼むから,あがいてくれ!
勝手に自己完結すんな,おい!
また一緒に旅ができるねって,目的は何なんだ?
それは映画を観たひとりひとりが勝手に想像すればいいのか?

……だけれども,あまりに取りつく島もなく,諦めにもにた空気しか残念ながら感じ取れませんでした。
(ウィンリィの台詞などからも)
別にお気楽ハッピィエンドは望んじゃいないけれども。

巷で読んだらよいともっぱらの噂のシナリオブックのプロトタイプですが,純粋な資料としてならともかく、それで理解しろっていうのは本来は反則だと思います。
(と言いつつ,やっぱり読まなきゃ気が済まないよね,ぷんぷん.でも今品切れ中.勘弁して!)
2度3度観て欲しいという制作側からのコメントも,ご都合っぽいし。
ここまでくると,映画のストーリィどうのより,私が制作の核の方達と思うところがあまりにも違いすぎての失望だったか?というレベルですね。

……と,まだまだ論点はかなりあるのだけど,長過ぎるので次回に続きます.
よかったら,また読んでいただけると幸いです。


2005/08/06 〜シャンバラへの悪路 

引き続き,感情論です××

みっともないのでもう止めとけと理性は言いますが,止められません。

愚かな感想で失礼します。

あの話が,鋼でなく全く別の物語だったら,各エピソードとか描き方で納得できたと思います。
けれども(あくまでも)私の捉えている鋼の世界観やキャラクターでああなってしまうのは,似合わない服を無理矢理着せたみたいな違和感があって,それが不快で,こんなにいつまでもくすぶり続けているようです。
展開,頭では処理できても(でもまだまだ?がいっぱい),どうしても腑にまで落ちていかない。

荒川先生至上主義じゃないし,TVシリーズでの決着には拍手だったけれど,映画観た直後は『荒川先生、少年マンガとして突っ走ってください!!』と切に願ってしまいました。

私が反応しているのは,もしかして個人個人の感性とかセンスのレベルでもあるような。
それはファンタジィのアプローチの仕方かもしれなくて,こんなろくろく本も読んでいないようなへぼい奴が口挟むことじゃないけれども。

……過去に,ル・グウィンの『ゲド戦記』の4作目を読み,めちゃくちゃがっかりしたことがあります。
内容などは記憶から消え失せ,ただ失望した思いだけを覚えている。
(エウレカセブンのレントン風に『サイアクだ……』とかつぶやいてみたくなる。おたくネタッ)
残念なことにそのがっくりときた感覚に似ている、一回目シャンバラ観たあとの感覚は。

何故,もっと錬金術的な話に持っていかれなかったのか?
エドを求道者的なキャラに発展させ,オカルトサイエンス仕立てにするとか。
いくら錬金術が遣えないからって,ロケット工学?
まあ,錬金術は科学だけれども。

エドの性格からすると,自分に合った師匠を捜し出すのではないかと思うし。
時代と場所ががいまいち定かでなく(調べろよー)強引だけれども,R・シュタイナーやニコラ・テスラとか。
(トゥーレ協会ってそっち系での伏線かと,勝手に思ってました。なんたってシャンバラだし)
その上で『扉』についての考察を再定義してみる。
真実の奥の奥とか掘ればありそうだったし,元の世界とは別系の錬金術が発展させられたかもしれないと思ってしまうんですよねー。
だって,エドって天才でしょー。
ホーエンパパだって,賢者の石を造ったくらいだし。
物理的にバチバチッという錬成ができないのならば,精神的に深化する変容に替えてみるとかさあ。

〜で,『扉』。
よそ様のサイトでも指摘されていた記事を拝見したけれど,あれは物理的に越えるの有り?
ロケットだから高速っていったって,大気圏じゃあるまいし、よく解りません。
だから,そういう設定をハイパーな錬金術で乗り越えるところが観たかった……と儚く思ってしまうんですよー。
錬金術のエネルギーは人の犠牲からのものというネガティヴな事実を覆す真理……。
(例,気とかマナを遣うのは常套手段だけれど,今までエドたちは遣えなかったんならばそっちにレベルアップしたっていいんじゃ?)
科学の世界でも錬金術使用が可となる……などという。

……と,ここまで書いていて、私は作品の根幹から受け付けられないんだと改めて。
スタッフの人たちが真剣勝負で作り上げたものにケチつける筋合いってあるか?とジレンマです。
でも,そんなこと言ったってしょうがない。
次回に続きます。
懲りずにお読みくださった方,多謝!!

2005/08/07シャンバラへの難路

こんにちは。

続いて読まれていらっしゃる方(いらっしゃったら)有り難うございます!

初めての方,もしも余裕がおありでしたら前の記事を読んでいただけると大変ありがたく思います。

さて,感情論からだんだんと`へ理屈`に発展してきました(あはは……)。
解釈が間違っていたら、ごめんなさい、です。
思い返してもうろ覚えなものがけっこうあったりして,やっぱり複雑なお話でした(汗)。

扉のことも引っかかったけれども,『錬金世界』に対して『現実世界』という言葉が使われているのは非常に危ういと感じます。
(やはり、他に指摘されている方もいらっしゃいますね)
こんな呼び方をしてしまったら,エドたちの居た錬金世界を「フィクションです」と突き放してしまうのでは?
つい,「だからエドとアルはこっちの現実に留まらされたの? で,あっちを夢と言ってしまうの?」とムキになってしまいます。
ーー住めば都,今ここがすべて。
って言うのはいいけれど(私もこの考え方は好きなんですよ),この『現実世界』って言うのはクセものすぎます。

兄弟が錬金術を失ってしまった現実,まるで錬金世界が夢だったように。
(もしも本気でそういう象徴として描いていたとしたら,ストーリィを紡ぎだすという行為をなんと思っているのかと問いたい)
その意味がこの言葉と連動しているならば、過去はすでに夢となり果てていくだけなのでしょうか?

「この世界は護る』
って,エドは言った。
すっごくひねくれてみれば,自分がそこに居られないの覚悟なんだから,`大切な夢を後生大切にかかえて生きていく`っていう後ろ向き人生にもなりやしないかなあ?って。

素直にみれば、自分の生まれ育った大切な人たちが居る世界をただ護りたいってなるけれど,美しい犠牲すぎて痛々しい。
英雄的になるのって、どうよ?
再び、個人的好みの問題で、お涙ちょうだいものは嫌いだよ。
そこまでエドをいじめなくたっていいじゃん(泣き)。
こういうことを言ってしまうのはかなり大人げないというのは分かるけれども、そう感じちゃったんだもん。

物語って、理屈だけじゃ語れない。
もちろん感情だけでも。
……シャンバラのテーマは立派なのでしょう。
でも、心の領域とのバランスには疑問が残ります。

それでー、まだ続くのっ!
(いーかげん止めろと言われかねないか?)
どうも有り難う!


2005/08/08シャンバラへの途中で行き倒れ

考えれば考える程ハマっていくような、出口はどこっ!って。

自分が今まで、いかに適当にTV版を観ていたかも何となく自覚してきたりして。

一体どこまで、これを展開させれば気が済むんでしょーね(呆れ!)。

さて、テーマです。
これについてはあまり書きたくないような。(ボロをよけいにさらしてしまう。汗)
まあもちろん、制作サイドが書きたかったことについてはパンフとかインタビューなどもご参照していただくということで。

なので、私の勝手な周辺関連への意見。
ーーノーアとエッカルトは出さなくてもよかったかも。

エドの立場や状況をロマになぞらえて表現しているのだとみましたが、映画の中だけでは時間が足りずノーアの孤独のバックグラウンドが曖昧すぎ。
ああいうリーディング能力があるから異端者として仲間に売られたんだともとれたけれども、ジプシーに占いはつきものだし大切にされていたのではないかと思いますが?
それに、エドから錬成陣を読み取らなくても済まされる方法も絶対あったでしょうね。

あの時代のドイツにした意味がたいそう重要だとそこかしこに書いてあったけれども、とらわれ過ぎの印象も拭えません。
確かに人は歴史の中で生きている。
けれども、(私は)歴史ドラマを見たかった訳じゃない。
史実に残らない日常でも充分なのでは?
テーマを描き出すのに最適な時代と場所ってさ、そのテーマが物語に最適なのかはとても疑問です。
下手をすると頭でっかちになり、縛られて身動きが取れなくなってしまうのではないかとも。

結果的に、エドは世界に翻弄されてしまった。
いくらまわりと無関係ではいられないからって、立ち向かっていかなければならない程のシビアな状況だったから、大義名分くさいポジショニングになり、鋼の物語本来から離れた描き方になってしまったとも言えるのではなかろうか?

エドって、凄く損な性分だよね。
で、あんな貧乏くじひいちゃうんだよね。
だから、ああいう追い込み方って、酷すぎる。
何でもっと自分の為に生きられるお話にしてあげられなかったのか?
ふるさとに戻る為、欲を言えば手足を取り戻す為、アルは記憶を取り戻す為、真理の中でのパーソナルな戦いでよかったのではないか?

ホーエンハイムとエンヴィーの決着も中途半端で、あれじゃあの二人は扉を開ける為のコマだったのかい?って。
せっかく、エンヴィーは竜になって生き残ったのに(中ボスくらいにはなるかと思っていた)がっかり。
ストーリィ的には、世界を脅かす強大な敵(エッカルト)は居なきゃ盛り上がらないだろうけれども、それでも新キャラを設定するよりは、片付いていないエピソードをきちんと描いた方がすっきりしないか?

だからノーア、ビュジュアル的には好みだけども、彼女の登場の分をウィンリィに割いて欲しかった。
(構成は全く別物になっただろうが。……っつーか、私のこの一連の記事ではすでにそういう構想に足を踏み入れている。汗)
ああ、ウィンリィ……。


2005/08/09 シャンバラへの道で五体倒地 

ウィンリィにはひたすら同情です。

まるで戦争に行ったまま戻ってこない子を待つ母のよう……。

(岸壁の母じゃないんだからさ!)

強い子だから大丈夫だよね……なんてとても言えない。
少しでもいいオートメールをって修行してたのに、もうオートメールを見るのも嫌になってしまわないかな?
下手すれば、技師も辞めかねないかもしれないとも思います。

喪失感をどう処理し解放していくのか、その取っ掛かりだけでもせめて示されていたらよかったのに。
「もう待たせてくれないんだね……」
悟りきっちゃって、テレパシーのように分かっちゃうなんてよけいに哀しい。
そりゃ、出会いと別れは表裏一体だけれどもね。

「LINK」って、映画を見る前とあとでは、全く別物の曲になっていました。
今はただ、泣けてくる。
あれって私の解釈では、ウィンリィへエドからへの……なんだけれど。
切ないよ〜、ひたすら。

なんかメロドラマ〜。
へろへろ〜。

今回は感傷にどっぷりでした。
私が冷静になれる日は果たして来るのか?
やはりナゾ!

2005/08/10シャンバラの孤独

すでに意地になって続けているよーなこの記事。

「ばか」。です、はい。

(”ハマり系だね”と他人さまに言われたことも有り)

エド、アルがあっちに行ってしまって、ウィンリィ以外の、ロイや他の面々もどう気持ちにケリをつけていくんでしょーね。
いきなり降って湧いた侵略受けて、何だか訳も解らんうちに終わってて……、そこで活躍してたエルリック兄弟を後々英雄にでも祭り上げるんですかね?

扉を閉じたロイだって無我夢中で考えてる余裕もなさそうだったし、なんでこんなことになったん?と、どこかやり切れなさが残ってしまうのではないでしょうか。
戻って来たと思ったらまた居なくなってしまったエド、追って行方不明のアル、後に遺った瓦礫の街の中で兄弟を知る人たちは喪失感と共に疎外感さえ感じるかも。

……私が陥っているのも似たようなところのような気がする。
まるでエドとアルがどこかへ行ったきり還って来なくて取り残されてしまった……という、哀しい夢を見たような。
上映終了後、ふらふらと映画館を出て夏の日差しで白んだ街をとぼとぼとと、なんか空しく現実感もなかった。

個人個人で違うのだろうけれど、人はそうそう簡単に故郷から離れられるものじゃない、そこに大切な人たちが居れば尚のこと。
(それが”護る為って……”いう理由。堂々巡りスパイラルになる。ぎゃー!)
状況との板挟みでああするしかなかったのだろうが、見てるこっちは痛すぎる。
(まだまだ深い部分を読み取れてないこと、あるだけかもしれないけども)
そういう風に背伸びして自分をなだめて言い聞かせてるような、変に大人になってしまわねばならないような姿を目にしてしまった……、この後味がざらざらと消えていかない。
まず自分を大切にできなきゃ、幸せになんてなれないよ。

だからー、
『世界と無関係でいられない……」
なんて、かっこつけるな!
エドのばかたれ!!(泣)

追記!
今日は友達と一日遊びまくり、鋼について話しまくりでした。
県庁所在地のア○メイトに連れて行ってもらったり。
(あかりさん、どーもありがとお!)

シナリオブック、発見!
二人とも買ったよ(笑)。
今夜は眠れないっ!
明日からのこのブログの展開も変わるんだろーか?

2005/08/11シャンバラへは勝手に行ってくれっっ! 

「やっぱり、どうしたってこうしたって、気に食わねぇ!」

ひととおり読み終えた本を、私はおもむろに放り投げた。

〜注、以下 ネタバレバレです。


どっちの方向に転んだって、あの世界観がダメだ、たぶん。

こんな説教くさい話、最終的に趣味じゃないよおおぉ……。

ーーシナリオブック読みました。
注釈なんかで、一部理解できたとこもあったけどさ。
反対に、忘却の彼方に追いやりたくて記憶から削除されていたシーンも発見してしまいました。
ロックベル家に飾られていたエドとアルの写真。
泣くよーっ! もうっ!
ラスト付近は動揺とうろたえがあったみたいで、ついていくのがやっとだったんだなあ、あたし。

?なうちに終わっていたんだと再認識。
妄想の領域で失礼しますが、ーー誰かの書き残したシャンバラの極秘文書をちゃっかりゲットし、ちょっと不敵に笑いながら『目指してみるか』とか言うエドのたくましくもしたたかな姿ーーが見たかった……。

抽象的だけれども、人、世界へのもっと暖かい視点が欲しかった。
”世界で起こってることと自分は無関係じゃない”のは、解るが
”世界はそんなに非情でもない”!と申し上げたい。

エド、アルに門を開かせて、望んでいない戦いの元とするっていう役を与えるのって、あんまりだな。
人体錬成で、それぞれ失って背負ったんだから、もういいじゃん。
(それだけじゃあ、話続かないってかー)

地に足をつけて生きていくのは大切だけれども、ラストでエドアルを現実世界に持ってきて客まで現実に戻そうっていうのは要らん世話だよって思う。
(大体、今の日本に暮らしていたら、ナチスドイツなんて錬金世界とそう変わらないんじゃないか? 少なくとも私には、歴史の一部であって自分の生きている世界じゃない)

至極感覚的表現で恐縮だけれど、この話、地を這いずり回ってるだけで、空に昇華してないのよ。
かといって、大地の懐の深さがある訳じゃない。
夢とか理想がなさすぎ。
私は、人は現実と夢がうまくおり混ざっているからこそ生きていられるんだと信じてる。

このブログの4回目(8月7日)にも書いたけど”現実世界”は胡散臭い。
前出で、危惧していたような意味合いも含まれていたようで、がっくり。
大変失礼と承知で申し上げるが、ライター氏はファンタジィを描くのにはあまり向いていないのかもしれない。 
原作をこれだけオリジナル展開されたのは評価するけど。
(ああ……、すげーエラそうな発言……。ごめんなさい。冷汗)

ーープロトタイプの方には、シュタイナー、出てきてたんだな。
けれど、あまりオカルトや神秘学志向ではなさそうなので、はったりっぽいだけだし、まあ出さなくて正解かもね。

シャンバラも、ただの概念だけだったし……、エドがチベット方面に旅するのか?と、タイトルを知ったとき実は思ってしまってました……。
開けてがっくり、別ものだあー……って。

そう、作品全体の印象もパッケージだけが鋼だったような……。
まあ、ハスキソン城の戦いのエピソードとか、生身のアルやハイデがかわいいとか、成長したエドがエドらしく戦ってるとことか、OPのグッドなできなど、よかったところももちろんあるから、それが救いだね。
(と、DVDは買っちゃうよ。悔しいけども)

結論(また映像を見たら変わるかもしれないので、今現在の)
シャンバラの話は悪い夢。
荒川先生、続きをひたすら楽しみにしてますっ!

それからスタッフメッセージで、この映画をきっかけにして……っていうのがあったけれど、私の場合それは、このブログっ!!

諦めが悪いので、まだ続きます(どーにかしろー! 独りツッコミ)。


2005/08/13シャンバラで失くしもの

ひたすらエゴイスッティックに展開させてきたこの記事。
ここまでお読みくださった方、いらっしゃるならば、心から感謝いたします。

私がいくらああだこうだと言っていようが、映画は変えられません。
究極、私が自分にケリつけなきゃね。

……で、最後(に、ほんとになるか?)に、趣味好みの問題かもしれないけれども、私には錬金術師でなくなったエドアルの有り様はキツすぎました。
(雑に言ってしまえば)手足ならばオートメールでも代用がきくかもしれないし、物品ならば買ったりできるれども、個人の特別なスキルはすぐに代えられるものがありません。
なんで、幼い頃からごく自然に欲するように錬金術を体得してきた二人から、それを取り上げてしまうなんてハードだなあと。

そりゃ、不慮の事故や災害で自分のアイディンティティ同然のものを失くしてしまう人は居るけど、それでもそういう条件にしておいてエドアルに『ここで生きていく』と言い切らせてしまうのは乱暴すぎやしないかなあ?
踏んだり蹴ったりの末だし。

まあ、二人が再会できてそれで何も怖くないような、そんな高揚感もあるのかもしれない。
(兄弟同士でそんな強い絆って、強烈……。二人のこれまでがそうさせたとしても仲良すぎって気もしなくないかな)

でも、どこか無理してないんだろーか?
私は、あの最後のあたりで、進んでいく話から引離されていく感じがした。
アルの無邪気さとエドの妙に悟りきった感じ、それが空々しくって壁ができて取り残されていた。
本心は、ほんとにどこだっ?
って。

がむしゃらな前向きさは自己破壊に繋がる。
痛みに気づけないまま蝕まれていく。

話を元に戻して、錬金術師でなくなった彼らはそれまでの自分たちのしてきたこと(禁忌を冒したとか、ホムンクルスを封印したとか)と、知り得てきた世界の理をも門の向こうに葬り去ってしまうのか?
これが、”リセット”なのだったら、それは逆現実逃避って言えるんでは?

なんて、それより、私が単に錬金術とか魔法が遣える人が好きだから!
というだけで、残念だとも(あはは)。

でもさ、エドから錬金術取ったら何残るのか?
あらためて、うーん……。
ただの口の悪いガキ、ではもうないかなあ???


2005.08.16シャンバラのナゾ
ひととおり書いて、多少の時間も流れて、どうやら落ち着いてきました。
完璧に書き尽くした訳じゃないので(それをやったら重箱の隅をつつくようで、やだよね)すが、また次にDVDなどで見たらどう思うのかなあというところです。

話の決着はついたものの、ナゾはまだ残っている訳で……けれども、ナゾのない隙もない話なんかかえっておもしろくもないんだろうからあってもいいよね。

でも性格のよろしくない私は、どーしてもつっこみたい部分があってしょうがない(げっそり)。
くどい、うざい、言われてもやっぱり書いてしまいます××

という訳で、(理解が悪いせいか)門のあたりの設定がいまいち解りません。
(アニメ版に限る)

・まず、真理=門の向こう=現実世界
え! こうやって字面にすると”真理=現実世界”だ。
ってことは、エドたちの世界はやっぱ夢なのー?(ひねくれ者な発言)
まあ、イズミ師匠が『あれが真理とは思えない』とか確か言ってたから、多少設定は違うのだろうけれど、じゃ、なんで手パンができるようになったの?

・で、現実世界では錬金術が無効なのは単なるエネルギー使用システム(死んだ人間のを、鋼世界で錬金術の元としてるっていう)の違いのせいなの?

・それから、死んだ人間は門のどこに?
(イズミ師匠はラースを迎えにきたが、ホーエンパパはどこよ? 息子たちのピンチなのにさ)
それぞれ二つの世界で死んだ人間はどうなる?

・一方的に現実世界から死んだ人間のエネルギーが流れ込むというのは、バランス的に成り立たないんでは?

・ホムンクルスは門の中から来っていうけど、その詳細が不明すぎ。

ーーまだ、あるかもしれない……。
うわぁ、またハマっちゃう〜。
門(扉)はやはり最大のナゾか?

教えて、真理くん!!


2005/08/20シャンバラの喪失

ここ数日、翔べない.天使にハマってます(笑)。
こうなるのは見えていたけど、私がRPGをやりだすと止まらない。
クリアしたら、また感想をアップしますー(乗り遅れてる!?)。

以下、シャンバラネタバレへ理屈、その……あれ、いくつだっけ?……です。

ずいぶん冷却されてきた自分にほっとしてます(苦笑)。
とは言うものの、シナリオブックや他の方々のご感想ご意見などなどを拝読し、ぼぉけ〜っと考えを巡らせ、またひとつ(やっとこさ)『そうなのかー』と思えたこと。
”シャンバラは何か(あるいは、多く)を失う話だった。”
これまで得てきたものを無しにして、そこから始めていくのさっていう。
だから”ここで生きていく……”って。
(とっても今更なことをこの期に及び書いているあたし、いい加減にしやがれ!)

ーーいやー、それもありですけどね。
(やっぱ、もれなく”けど”付き)

エドアルが、新しい世界で生きていくには旧い世界と離別しなければならない。
これが等価交換。
すべてを失うと、人って腹括れるだろう。
泣きごと言ったって始まんないもんね。

ウィンリィも、ーーシナリオブック読んでやっと判ったがーー、兄弟からの自立でああいう描き方になったっていうし。
自分に出来る最大を尽くしたんだから、完全燃焼ともいえるでしょうよ。

で、鋼世界は、兄弟を失って平和を取り戻した……のね。

(ロイは……あれ……? いまいち不明)

ーーそーね、そういう筋なら妥当かな、と思うが。
(もれなく”が”付き)

少々話はそれるけど、荒川先生のご要望でラストは原作と違うらしいから、ひとつの展開として少ない時間の中よく創ったと思う。

しかし……。

どーしても、好みじゃなかった。
ここまで、自分をなんとか納得に連れてこようと粘ってみたけど。
(泣きそー)。

そして……
消せない罪を背負って生きていけとは言わない。
無駄な罪悪感も背負って欲しくもない。

ただ、どこに逃げたって、自分からは逃げられないんだよね。
(この言葉、そっくりそのまま、あたしに向けてる。くぅうう〜〜。もがきっ)

だからっ、妙に判りきったような口ぶりだったけど、
『どこだって同じだ……』
って、エド、ほんとにその意味理解してるの?
世界に積極的に関わっていくのはいいけどさ、水戸黄門じゃあないんだからさ、その前に自分のトラウマと関わった方がいいんじゃないの?

……要するに、わしが逃げの奴だから、きっとこんなに気持ち悪かったんだろう。

すなわち、よく解る。
よく見える。

現実世界は、やっぱり君たちの世界じゃないよ。
(私には、あの成りゆきが押し付けにしか見えない。)

辛れー話なわけだー。
自爆っ!


2005.08.23シャンバラの解放さて、本題。
13日の記事(シャンバラで失くしもの )で、錬金術をエドアルが失ってしまうのはあんまり、と書いた。
私にはそうする理由も解らなかった。

でも、伏線発見!しました。
PS2を買いこれでマイルームでもDVDが見られると、昨年末のフェスティバルのをさっそく再生したらそこにあるじゃない(!)。

『エドは門を越えることにより、錬金術から開放され云々、やっとエドワード・エルリックとして生きられる……(この言い回し、正確じゃないです)』
とか、ナレーションで語られていた。
そのまんま答えじゃんよ!
こんなところに仕掛けられていたなんて……。

そういう話なら解る。
やっと、本当にやっと解ったような気がする。
二人は、鋼世界から明確な意図を持って解放されたんだ。
忌まわしいものすべてから。

……って、ちょっと待ったあ!
(でた……)

制作の方々のエドアルへの愛はもちろん感じる。
二人の安寧を願う親心のようなものも。
けれどもその設定って、賢者の石と錬金術批判っていう立場でないと成立しないよね?

確かに、賢者の石は多大な人間の犠牲を元に造られているものだし、それをいいように遣うのはエゴのなせる業(わざ)なんだろうが。
だからといって錬金術を否定してしまうのは、現代で核とか危ないものを造るからと闇雲に科学を批判するのと一緒じゃないんだろうか?

力はただ力であって、それをどう遣うかは人なんだから。
叡智を働かせて善い方に遣えばいいだけじゃん。
(この辺、けっこうテーマになっていたよね)
錬金術も科学も悪用すりゃとんでもなく、それをTV版ではダンテ、映画ではナチスとして描いたのかなとここで結びつく。

……じゃあさ、エドアルが忌まわしい錬金術の力から解放されたって、今度はやっぱり忌まわしい科学技術による戦争が待ってるだけじゃないの?
ああぁ………あんまりぃ…………。
(ここまでくると、わしの理解不足が引き起こす誤解だって思いたいよぉ)

せめて、もっと平和な時代と場所だったらよかった。
(だから、それじゃ、話にならないんだって)

TV終盤で、様々に伏線は張られてたのに、私は「?」と胸騒ぎはおぼえつつ、こんなすげーことになるとは予想出来なかった。
なんたって、楽天的にアカルイミライを信じてる奴だもん(いばるなよ)。

「夢は叶ったら、夢でなくなる……」
とか、もっと気をつけてみればあやうい台詞なんかあったのに。
こうきっちり描かれていては
「さようでしたか〜〜〜」
と、引き下がるしかない。

同時に……、こんなに重い意味合いなのだけれど、今はかえって、解ってしまったから私は妙に納得している。

エドアルが故郷からの離別をいやに落ち着いて受け入れているのも、自分たちのしてきたこと、錬金術から解放されるとどこかしかで気づいていたからかも。

ふーん、二人は錬金術は遣えなくなったってよかったんだー。
まあね、ホーエンパパから始まってすべての根源は錬金術の誤用の悲劇だものね。
(これは、ロイが北にこもったエピソードとオーバーラップしてるか)

それならそれでいい。
壊れないように逃げて、クールダウンすればいい。

だけど、「ここで生きていく」って前向きな姿を見せてくれてはいるけれど、どう考えても二人が向かう先は明るくはない。

救われないなー、もう。


2005/08/24シャンバラの果て

はたと気づくと、映画公開から1か月が過ぎてました。
私の観た館じゃ26日迄だそうです(それでも粘ったか)。

結局、まだ私は1回しか鑑賞させていただいてないっす。
次第に薄れていく記憶、混じり込む雑多な私情などなどで、頭の中の物語は別ものへと変わっていく……のは仕方ないけど、あんまり妄〜想〜が入ったひどい発言をしないうちに(あ、すでに遅いか、滝汗)まじにそろそろ、この記事を終わらせなきゃねー。

んで、殆ど前回の続きですー。
エドアルは錬金術と過去から解放されてまた出直す……というように描かれている。
「どこだって同じ」だと。

逆説的、それはそう、なのね。

彼らの過去は決して変えられない。
錬金術が遣えなくなって別天地に解放された……というのはけっこう見せかけの平安だと私は思う。
(参照→)シャンバラの喪失

新しい生活に慣れていくにしたがい、事ある毎に何かふとしたきっかけで、解消されていないトラウマにたぶん苛まされる。
アルだって記憶戻っちゃったしね。

ヒサンだなあと特に感じるのは、やっぱりお母さんの錬成にまつわることで……、スロゥスがトリシャママの記憶を持ってたりして(この辺もナゾ)それでも封印せざるを得なかったでしょ。
いくら人でないと解っていたって、同じ顔だったんだよ、普通はそれだけでまいっちゃうよ。

大気に融けていくスロゥスを前にエドが泣けなかったのは、起こっていることへの反応を押しとどめシャットアウトして感じないように、自分を護っていたからでしょうね。
それ、精神衛生的には非常に!マズいっす!
とりあえず、幼児退行して気の済むまで泣きなさい!(問答無用!)っていうとこ。
(せめて、ウィンリィがいればましだったかなあ……うーん。いろいろ複雑すぎて眉間に皺)。

ホーエンパパにだって、よりによって目の前でああいう死なれ方されてるし、ハイデだって死んじゃったし、……ひとつひとつ挙げていったら、書いてるあたしがめげる(ぐう〜)。

ん! そうかー!
兄さんと旅するのは、お遍路で巡礼の旅だったんだー。
やっぱりチベットの人みたく、聖なる地を目指すんだ(……おい)。

冗談はさておき、けれども、本当に坊さんになって出家でもしそうな勢いで彼らは癒されてない。

ついでに心根の腐ったわし(リライトされちまえ!)はまだ突っ込み入れちゃうけどさ、エドアルが錬金術遣えなくなったって錬金術師はいくらでも存在するし、賢者の石だってこの先どういった経緯でかで誰かが造ろうと試みるかもしれないし。
彼らなりに出来ることをしてきたけれどもね。

こんな如何ともし難い世界ならば、まずエドアルがきちんと生きられるように……と私は願ってしまう。
お気楽に幸せになれる筋立てではないことは解りきっている。
だからこそ、精神が綺羅星のごとく昇華して行ける……っていう展開になったらよかったのに。
(個人的希望の主張はいい加減にしましょう)。

ーーともあれ今は、実は限りなくビターな物語だったんだとごたく並べまくって、随分と気も収まりました。

ここまで、暴発しまくりの記事をお読みくださった方、心よりありがとうございます!

次回は、ネタとして書かなければやっぱりいられない(汗)ナゾについてになる……かなあ。
まだ懲りてない、ばかやろう。

2005.08.30”解けないナゾ!”
劇場版の話題も、世間ではそろそろ収束でしょうか?
いまだに考え込むこともあるけど(しぶといっ!)、まあDVDが発売されたらまたじっくりと。
ここ数日は、トレカ集めと翔べない天使に集中していて、それもまた幸せ(笑う)。

とーはいえ、久々に小理屈をアップします。

ホムンクルスのナゾ (アニメ版)
ラストをはじめ、スロゥス、エンヴィーたちはオリジナルである人間の記憶(の断片)を持っていた。
それは、つまりはどういうことだったんだろう?

ラストが「人間になりたいのよ」と言った時、私は思わず「妖怪人間かっ!」ってつっこんでいた。
あまりにベタって感じで。
でもこの後、「人間として在れと、生み出されたのだから……」というくだりがきちんとあり、そこで前言撤回でごもっともと納得。
術者の意思が人体錬成を行う時に、その対象を蘇らせようとプログラムされて入る(切なる願い)ならばそりゃ当然だなって。

けれどそれから、ホムンクルスたちは魂が無く不完全なのだと言う。
ここで疑問、自らの意志を持ち生き続け動けるのにどこがどう都合が悪いのか?
ラースは出来損ないとか怒ってたけど。

あと、彼らはただダンテにそそのかされて、賢者の石製造の為に戦い続けていたのか?
(エンヴィーの個人的恨みとグリードの反抗ははわかるが。)

ラースがエドの身体を欲していたけど、それで人間になれるっての?
まあ、エドの手脚をくっつけた身体で拒絶反応が起きないんだから、やっぱり普通の身体じゃ有り得んよね。

で、人の形を作り上げる訳だから、DNA情報が不可欠な筈で、……あれ? スロゥスはエドアルの血だったなあ。
いくら親子でも、それだけじゃ母さんにはなりませんってばさ。
あう〜ん。
解らないっ!
錬金術は、わしには未知の科学だあ!
(って、ロクに科学を識らん奴が言えることじゃないだろ、わし!)

ついでに、記憶はどこからきているのか?
仮にDNAをホムンクルスが持っていたとしても、それは非常に苦しいと思う。
DNAには個人の体験の細やかな記憶は入らない、きっと。
どちらかっていうと、魂や精神ならばいける(あくまでも、私の感覚じゃ)。

百歩譲って、DNAは錬成出来たとしても(でもそれできたら、現代の科学じゃぶっちぎりノーベル賞だよねー)、魂と精神は錬成不可ではないだろうか?
(原作でも今のところ、このへんはぼかしてあるっぽい)

勝手なあたし説ーー、人体錬成が可なのは肉体までであって、精神と魂という”存在”の創造自体が人の手以上、つまりは神とかサムシィンググレイトの域の仕事はは無理!
エドはアルを鎧に、言葉通り繋ぎ止めただけなのだよ、たぶん。

(だから、”魂を錬成”とか本人たちは言ってたりするけど、きっとこの定義はそのうち変わっていくと私はみている。
なーんて、荒川先生ご本人がこのあたりをどう描かれるのか、実は楽しみ!)

と、ここまできて、やっぱりホムンクルスはナゾだー。
人体錬成に失敗したものを賢者の石で育てるとああなるっていうなら、(蘇らせようとした対象の記憶があるんだから)、一種の成功ともとれるんだろうか?

脳を持っていても、感情とか記憶とか知性とかプログラミングされてなきゃ、ただのでく人形だよ(って、そんなもんみたことも無いけどさあ)。
彼らの、あの人(?)格はどう得たのか、ラストが言ったようにどこから来てどこへ行くのか、教えてくれ〜。
この辺、下手に理性的にやるよりは、オカルトっぽくして降霊術(イタコ)のような不確かな術みたいな表現にしておけば、私もダマされたかもしれない(爆笑)。

でもでも、へ理屈はいいとして、ラスト姐さんの「人として死にたかった……」というのは美しくてよかった。
映画でも、ホーエンパパにこの辺もっと語って欲しかったよっ!
(まだ言ってるよー)

今回の締め、どう転んでも私は真理に手が届きません。
どなた様でも真理くんでも、私にご教示ください!
(コメントつっこみ大歓迎!)

2005.09.03ホムンクルスのナゾ、追記
最近,自分でも呆れる程ハマり方が激しいんですけど……。
きっかけは劇場版だったものの,何だか自分のこの心理状態がよく解らない。
そういえば,昔っからナゾなこと(で興味の範疇なら尚更)があると追っかけちゃうところあったかもなあ。
そーいう訳かもー。

さて,8月30日の記事ホムンクルスのナゾ で、ラースの手脚がエドのなのに拒絶反応が起きてない……と書いた。
んで、その後,たまたまゲームやってて大量のキメラが出てくるシーンで「あー!」ってさ。
キメラは”合成獣”の名のごとく,全く別々の動物をつなげてたんだった。
(現在の科学でも,これは完成してないよねー)

ラースはキメラに近かったんだろうか?
そういえばベットと錬成されてたし、エドでさえ『めちゃくちゃ』とか言ってた。

うーん,やっぱり錬金術は、デタラメ人間の万国びっくりショー仕様なんだー。
(上記の一文は,ノリです,ノリ)

ああ,今回充分な考察が足りなさすぎ。
(いつもそうじゃん)

ところで,ラースの身体にエドの手脚がジャストフィットしてる説明ってあったっけ?

ぶっちゃけ,TV版の3クール目くらいからというか,イズミ師匠が出てきたあたりから話が重ーくなっていって(ついでにOPとEDも私的に好みじゃなくなって),あまりまともに見返そうという気が……(汗)。

こう自分の受け取った状態を観察していくと,好みの基準が判ってくるのねえ。

肌色が違ってたのはよかったとして,なんかしなきゃ,サイズ的にも合わないだろうに。

ま、いっか。

次回もまたナゾの追求、もとい,わしが阿呆で解らない部分についてです(はは……)たぶん。

2005.09.06”扉の向こうへ……のナゾ” 
ここのところ、かなり原作にシフトしてきてます。
とはいえ、連載誌の分厚さに負けて
(だって、武器になりそうな勢いじゃん。それに読んだ後、鋼ページだけをばらして切り抜きリサイクルに出すのがねー)
コミックスまとめ読みですが。
割高でもいいから、せめてあの半分の厚さだったらなー。

でも、そのうちコミックスも待ちきれなくなって、買いに走るかも……?

このブログの”解けないナゾ””ホムンクルスのナゾ ”で書きましたが、原作でも「魂の錬成」「拒絶反応」について少し触れ始めてますね。
(私、無意識にそれに触発されて、上記ナゾに気づいたのかも)
11巻は、「さっすがー!」っていうのが多くて、読みごたえがありました。
特に、家を焼いてしまったことについてホーエンパパにつっこまれるところ。
確かに、家を焼いたシーンとかエピソードはよいものの、「君たち、それじゃ放火犯だよー」と実は感じてたし(あはは)。
こうやって、きちんと潜んでいた心理を明かしてくれるフォロウがあって、荒川先生大好きです!!!

あ、あれ……話が原作にそれちゃったよ。

ーーで、今回は門(扉)のナゾ再びです。

TV版の終了間際で、エドはエンヴィーに刺されて死んでしまいました。
それを、賢者の石となったアルが復活させました。
この時
『エド、完全な身体(15or6歳)』。

ここで、アルはどうやって賢者の石を遣ったのか?
1)完全に新しいエドの肉体を錬成した。
2)ラースに持っていかれた手足とオートメールを交換して、死んだエドの肉体を修復し蘇らせた。

どっちにせよ、
『鎧アル消失(14歳)』。

それから、エドが自分を代価にしてアルが復活。
『アル、完全な身体、但し人体錬成以降の4年間の記憶無し(10歳)』

これもどうやったのか?
1)完全に新しいアルの身体を錬成した。
2)エドが、門の中に居たアルの身体を戻した。

引き換えに
『エド、右腕右脚無しで現実世界へ』

……追って簡潔に書くとこうなるのですがー、

・エドがそれ以前と同じように右腕右脚なしっていうのは、可能性として、アルが復活させたエドの身体は新しいもので、旧い方は門の中に残っていたって考えられなくない?
門の通行料を取られるならば、全く同じ部位じゃなくてもあり得るというより、同じになる可能性の方が必然的な理由が無ければ有り得ない。

つまり、エドはアルの復活の代価にアルが錬成してくれた新しい身体を持っていかれて、門の中にたまたまあった旧い自分の身体にうまくして魂を滑り込ますことに成功した……のかなあ?
(でも、そうだったら、なんで傷治ってんの?)
じゃあ、あの門の中には今も、持っていかれた15歳の完全なエドの身体が居る?

・アルが10歳で4年間の記憶が無いことから推察して、それは門の中に居た10歳のアルの身体を呼び戻したから?
(魂に記憶は刻まれてないのか? 
または10歳で時を止めたから、記憶を再生できないのか? 
じゃあ、劇場版で、門を越えたら記憶が戻ったのはなんで?)

ーーこの辺の説明はうまく物語のテンポに包み隠されて、気づきもせず気にはなりませんでした、当時は。
けど、シャンバラを観た後、どうにもこうにも考えることが多くてさ。あはは。
四苦八苦してまとめてみました。
しかし、これで合ってるとは到底思っていないよ(笑)。

で、(上記の説で)思いついたこと、
鋼世界に戻るのに、門をどうにか開いて15歳のエドの身体を使い、まるく収める手もあったかも。
18歳のエドが「うわぁ〜、俺ちっせえ〜〜〜(もがきっ!)」とか言いながら。
……ギャグアニメかっ

2005.09.09”扉越えーアル編ー”
”扉のナゾ再び” のところで、最終回にエドが復活させたアルについての事に触れたけれど、掃除ついでで手にしたオフィシャルファンブックのコメントに記事を発見!

やはり、アルは門の中に残っていた10歳の身体に魂を結びつけて……という設定だそうです。
だから記憶無かったんだって。

ここで、しつもーん!
じゃあ、なんで劇場版の最後のところで記憶が取り戻せたんですか?
もとい、記憶の在処はどこなの?

もしも脳だったら、劇場版で門を越えたアルは17歳にならないと、というより鎧だった時に空っぽで脳も何も無かったんだから、それは無理だよね?
で、魂(もしくは精神)だったら、TV版で10歳だけど記憶ありだって可能でしょう?
この矛盾を解決する証明を私にくれよ!
眠れなくなっちゃうじゃん(どこでもすぐ眠るくせに)。

うろ覚えだけど、あの時(劇場版の最後のあたり)エドは「等価交換か?」とかしか言わなかったよねー。
例えばアカシックレコードから情報を引き出してるとか、それらしいことを説明してくれなければ、ただの荒唐無稽で、何でも等価交換って言ってればいいんかい!って、またつっこむよー。
(……何とも性格的におさまりのつきにくい奴でごめんなさい、です)

それから、ホーエンパパとダンテだって、何度も身体を乗り換えてきたのに,記憶は失われてないよね。
だから,やっぱり,魂or精神が記憶の拠り所なの?

まとめ!
・記憶はどこに保たれていたのか?
・それをどうやって13歳になってしまったアルが扉越えで取り戻せたのか?
・13歳の現在、お母さんを錬成してからの4年間と、記憶を失くしてからの3年間、10歳から13歳まで×2でダブるのって、どんなよ?

もう,混乱しっぱなしー。
真理くん,HELP!

2005.09.12エウレカだけど、やっぱり鋼ネタ。
エウレカの監督の京田さんて、鋼の第2期OPのコンテ書かれてたよね。
私は、あれとても好きで、OP4作中いちばんの出来だと思います。

一部では少女趣味とか噂されてたみたいだけれども、それってあの白いバラのところでしょう?
判る人には何だかすぐ判る、アルケミックなシンボルじゃん!
カバラの「生命の樹」で、いいんだよね?
私はこれだけで大喜びでした。
(だって、もともとアヤシい奴だもん)
確かに、いきなり白いバラしょって出てこられたら、慣れてない方々にとっちゃキツいかなあとも感じるけれども。
その点、少女マンガ育ちの私はほんとに、なんてすてき!って(笑う)。

あのOPは随所にセンスの良さがさりげなく入っていて、それも的確(鋼らしくて)で、ほんとに大好きです。
1カット1カットのレイアウトの仕方(絵的な決め)が、凄く様になってるし。
ひとつづつ、コンテに沿って講釈たれたいくらい(バカ!)

曲のおしまいの方、苦悩するエドの姿を入れたことで明るい曲がただの明るい曲で終わらずに、作品の感じがよく出たところがまたいい。
それでもって、あんな風に『にぱっ』とエドが満面の笑顔を見せた日には……。
ああ、ほんとに、『あたしは生きていかれる……』って思った(爆笑)。

ラルクの曲、第一印象は実は悪かったのでした(どこかの歌番組での)。
ところが、イメージ合ってるじゃん!にすぐ変わりました。

ーーあ、という訳で、あれを書かれた方が監督なんだから、という思いもエウレカセブンにはあります。
けっこう、仏教くさいイメージも多いし。
私は別に特定の宗教を信じている訳じゃないけれど、精神的に深化されているものっていうのは非常に好みの部類に入ることが多いかも、なので。

でも、『涅槃で待つ……。(by 沖雅也 ……誰も知らねーっての)』みたいな、暗い展開にはあんまりなって欲しくないなあ。
何となく、そんな予感が、予感が……、ハズレて欲しい。
悲劇でも、納得できればいいけれどもね。

2005.09.13”扉越えーエド編ー”</strong>
扉越えーアル編ー  より続き

アルの戻った身体と引き換えになったエドの代価は?
というのが結局なんだったのか?

前にも挙げた記事 (けっこう重複してるけど、まとめっていうことで)、完全な全身か、それとも右腕左足か。
……脚と腕だけじゃ量的に交換のバランスが足りないし、やはり引き換えになったのはエドの全身では?と推測できる。

となると、アル賢者の石で復活したエドは
・全く一からの人体錬成
・ラースのものになってて、門の中に持っていかれた手足に他を付け加えた人体錬成(って書くとけっこうグロいなあ……)。
のどちらか。

機械鎧付きのエドの身体は、エンヴィーに刺されて即死っぽくてもう身体的にダメだっただろうし。
でもこの屍が、何らかの理由で門の中に移動し、何故か傷も治り(超!不思議)、(そうしてアルを呼び戻す為に差し出された全身と交換されて)エドがこの身体を使ってあっちに出られた……ということかなあ?

ーーだからやっぱり、門の中には今も、15歳のエドの完全な身体が居る。
しかも、それは賢者の石を遣って錬成されたスペシャルヴァージョンだっ!!
何らかの凄い能力があるに違いない!
今か今かと、復活を待ち……次は豆粒エドの逆襲だあ……!

……んな訳ねーだろ。

2005.09.17シャンバラは異国の地 (十二国記、劇場版 鋼)
久しぶりに劇場版の話題です。

あ、でも、私もさすがに平常心というものを取り戻せたような感もする今日この頃。
(うっそっぽいかも)
少々、別の角度から。

このようなサイトさんを、少し前ですが見つけておりました。
utihoriの些細 事 『鋼と十二国記
※現在閉鎖

ご存じない方の為に説明すると、『十二国記』とは小野不由美さんの小説(講談社刊)で、一昨年(だったよなー)NHK BSでアニメ化されました。
簡単に言ってしまえば、中国風異世界ファンタジィです。

私もとても好きな作品で、わりと早いうちから読んでおりました。
アニメ化はちょっと期待していたのですが、作画のレベルが回によって大きな差があり、あと脚本も明らかに何でこんなにすっ飛ばすんだみたいな進め方になってしまい、残念賞でした。
(でも、けっこうよく出来た回ももちろんあり、それは何度も観ちゃいましたよー)。

で、それ、あいかわ(漢字が出ませんので失礼)さんが脚本を書かれていたのです。
きちんと調べてはいませんが、構成とかまとめて何本とか……って,確かどこかで記事になっていた記憶が。

十二国記の設定は、この現実世界と十二国のある異世界間のファンタジィです。

……お気づきでしょうか?

それから、(アニメ版では)陽子という女の子が主人公ですが、彼女は現実世界から十二国へと行くことになります。
(ネタバレすぎないようにちょっとぼやかして書いておきます。おもしろい作品なので)。
で、(これもアニメ版限定キャラ)彼女に付いて二人の同級生が現実世界から十二国へと渡ってしまいます。

それで、その二人の同級生の描かれ方が、なんか、ね……。
(といっても、私はあまり彼らの存在には入っていかれなかったので、よくは覚えてないです)。

鋼TVシリーズで、異世界もの設定が出てきた時、「あ、あれー?」と実は思いました。
でも、まあよくある手法だからと大目に見ていたような気もする。

それで、utihoriさんの上記記事を発見し、そういえばそうだった!と思い出したのでした。

あいかわ脚本は、あの頃からなんかクセがあった感じです。
ぶっちゃけ、ね……ダメかも、好みっていう点じゃ。
深く追求型で、それは凄いところだけれども。
いくらすばらしいっていう文学作品を読んだって、心に響いてこないようなわしでは理解に及ばないのかもしれないです。

もう一度、アニメ版の十二国記をきっちり観て、鋼と比べて検証……する気は毛頭ございません。きっぱり。

ただ、なんかすっきりしません、というのが本音。

でも、ファンタジィお好きな方にはお勧めです。(まあ、原作)
山田章博さんの挿絵も大好きですー、私。


2005/09/10 地方ってさあ……。

今日の新聞の映画上映時刻欄を見て「え”」と,絶句。
うちの市の映画館で,劇場版が今日から土日のみ上映だって。

ちょっと〜,全国封切りから1ヶ月以上も経って、告知だって無かったし(私は映画館まで上映予定を見に行ったこともある)何考えてんのさ。
(館の事情はあるんだろうけど、もっとしっかりマーケティングした方がいいんじゃない?)
お約束な,地方のさびれたダメ映画館そのもんじゃん。

もう既に,可能な人たちは小一時間かけたら行かれる近隣の映画館で観ちゃってるよー。
(かくいう私も,電車代1000円ちょっとかけて行ったさ。ローカル線は高いのよ)

しかも土日1回のみ上映って,なめてんのか?

……このブログでさんざんへ理屈をぶちまけてきた奴の意見にしては?って,これまでの記事を読まれた方は思われるでしょう。
でも、やっぱり鋼は鋼なのよ。
心は動きます。

けれど、「わーい!」って、手放しで喜んで観には行かれない。
話が進むにつれて,(私が)辛くなるのは分かってるから。
きっと,席に座ってしまったら終わるまでは立ち上がれない。
DVDなら,止め!とか,好きなところだけ繰り返して観られるけれども。

だから,やっぱり観には行かない。
って言うより、行かれない。

あらためて、自分の葛藤を思い知った気がします。
ぐう〜〜〜。

2005/10/01最終上映。 

本日、鋼劇場版の最終上映に行ってまいりました。

あれだけ騒いでおきながら、二度と行くかとか言いながら、のこのこと出かけていきました。

で、今日はとても記事をまとめている時間がないので、明日以降に公開できるように進めていこうと思います。
いつまでやってんだか……、というものです。

お見苦しい限りです。


2005/10/04シャンバラを諦めに……。

どうしても、あとをひいて離れない気持ち。
だから、今度観に行くのは『諦めに行く』のだ。

“あーきらめーにぃ、行こぉ〜……”  by 平沢進

〜〜〜
アップするのが少し遅れましたが、今回の記事は9月30日、”劇場版 鋼の錬金術師 シャンバラを征く者”最終上映を観に行く(私にとっては、2回目の鑑賞)前日に書いたものです。
タイトルの通りの内容ですので、肯定派の方はお気をつけ下さい。
「自分、かっこ悪すぎ!」と思いながらも書いてます(はは……)
〜〜〜

真理の無い門

アニメ版で、そこに居るのは無数の黒子。
入ってきたものに取り付き、どこへ連れて行こうとしているのか?
一体、あいつらは何だったのか?

それはついに詳しく語られはしなかった。
見る限り、門を開けたものを取り込んで分解(?)する謎の存在ということくらいしか読み取れない。

そして、原作に登場する真理くんも居ない。
(黒子が真理くんじゃないものね?)
ここが大きなポイントなんではないかと思う。

マルコーさんが暗示した『真理の奥の奥』、錬金術をあそこまで忌むべきものにしないでも済だかもしれない方法への手だて。
叶ってしまった夢と賢者の石が、絶望悪夢にはならないでもよかった設定への布石が、真理くんの存在と絡んであった筈なのにそれは無い。
(……もしかして、それは原作と違う終わりにする為?)

エドは賢者の石を人の記憶から消さなければと動いたけれど、賢者の石に錬成されてしまったアルをどうするつもりだったんだろう、あのとき?
(私の記憶が定かでないだけで、きちんと説明されていたかも……だけど。汗)

人の心が求めて作り出してしまうものだから、それによって争いが起きるのなら、自分も無関係じゃないという導き方はまあいいけど……、でもそれは追い込み方としてでかすぎる。
このときエドたちは、そりゃ賢者の石とかかわっていたからその部分に関してはいい。
(親の因果が子に巡り……というのも、ある意味仕方がないかなあ。でも確かにヒドい父親だよねえ)
でも、それ以上は、自分の範疇以外のことって,極端な例、アメ○カ型『オレ様、世界のケーサツよっ!』みたいな。
だから、10代のガキにそんなエラいこと言わせちゃうのは勘弁しろよ、って私は感じる。
どっかで踏み違えりゃ独裁者だぜ。
(エドは、そんな阿呆じゃないけど)。

けれど、このとき既に、スロゥスを封印してたりし、あれもかなり大きな要因だったのだろうね。
歯噛みして辛酸をなめて……でもマトモに悲しみを感じていては気もおかしくなってしまいかねない体験だった筈で、だからもうただ大きな流れの中で大義を呑み込んで、つじつまを合わせているような。
(ニュアンスを何となくでも解ってもらえると有り難い、抽象的文でごめんなさいです)。

ーー人体錬成の失敗がホムンクルスっていうのも、1年間のシリーズで収める設定にはうまいはめ込み方だけれども、これも救いないよね。

劇場版で、イズミ師匠があっけなくお亡くなりになっていた一因は、ラースに対する罪悪感も大きいかと。
(原作はよかったよねー! エドアルも、師匠も)
それで、彼は彼なりに決着を付けた息子を、死んでから迎えに来るっていうのは典型的な死後救済かなあ。
そんなことつゆも知らんダンナ(シグさん)かわいそーだよ……っつーより、いいんだろうか、それで?
結局、グラちゃんと一緒に門の材料なのか?
ラースに、その動機持たせる為に師匠を殺したん?

TV〜劇場と筋をみてくると、TVラストでエドはあっち(”現実世界”っていう言葉、いいかげん厭なので”あっち”)に行っちゃって、劇場版でも最終的に帰って来られなくって、アルまでも行っちゃって……ということは、鋼世界へはどうしてもエドアルを置きたくはなかったのかもしれない、な。

『キメラが哭く夜』の回で、方向性がどうのとかどっかにあったけど、ならば錬金術とそれを遣う人の愚かさのクローズアップが核だったのかなぁ?
しつこく、タッカー親子は最後の方まで出てきてたし。

だから、あんな過ちをただ希(ねが)いの一心で冒してしまったエドアルには二度と触れさせないように……、なのだろうか?
錬金術=忌むべきもの
という図式が確固としてあったの?
だから……?

……真理くんは、やっぱりそこには居ないんだね。

真理の奥の奥を示唆したマルコーさんも(アニメ版の詳細はどうだったけ? 覚えてない、ごめんよー)グラちゃんのタンパク質になってしまっていたし。

そうなんだよね、錬金術のエネルギーはあっちで死んだ人間のものなんだ。
こんなネガティヴな設定じゃあ、禁断とか禁忌なるもの錬金術としかならないだろう。

エドもアルも、それから解放されてハッピー……。
冗談!
錬金世界はそんなにヒドい世界か!
主人公たちだけがそこから逃れてきて何になるんよ!
やっぱ、こんな救いようのない世界観やだ!!

ーーうすうすこれに感づいたあたしは、だから観に行く。
”アニメ版、鋼の錬金術師”を、『諦めに征く』のだ。


2005/10/05 シャンバラの遠景。

行かない筈だった。
(昨日の記事に戻る→)
だから最終日、『もう終わってるな……』と、ほっとしたような気分だった。
なのに何故か、上映期日が延びたと知った時、
「行けよ、行くしかないだろっ!」
って,背中をどつかれた。
たぶん、それは真理くんだったに違いない(ウソ! 爆笑)。

ーー昨日の続きにあたる、劇場版 鋼、二度目を観に行ってきた顛末記(?)です。
初めてここにいらした方、もしもいらっしゃったら、きっと訳が解らないかもしれません。
余裕がおありでしたら過去の記事を左サイドの『シャンバラを征く者』のカテゴリーから拾ってお読みいただけると、非常に有り難いです(恐縮の極み!)

正直、二度目を観るのはマジに怖かった。
(ホラーかよ)
たかだか映画なのに。
しかし、それも次第に収まっていき前日くらいには覚悟は決まって、無事に帰ってもこられた。
(あれご覧になって、何ともなかった方には大袈裟っつーか、単なる阿呆な奴が騒いでるくらいしか思われないだろうけれど、私にとってはそれ程のことだったのよー)

それでさすがに、2回戦。
冷静に観られた……と思う。
でも更に醒めた視点になった気もする。

さんざんごたくこねくり回した(このブログで)おかげで、自分の思いや考えもまとまってきていたのもあるけど(文を書くのは効果あるんだよねー)。
とはいえ、出来るだけ頭を空にして、雑念が湧かないように保とうとはしてたよ。

そして、結局、何度も繰り返してるけれど私の好みからは外れたお話でした。

特に決定的だったのは、セントラル上空にあっちの戦闘機が飛び交うシーン。
『これ違うよ〜』
と、強く感じてしまったのね。

似た印象を受けたシーンは、TV版でも実はあったんだよね。
1、グラン准将がイシュヴァール戦で賢者の石を遣って、ロボロボ人間兵器になったとこ。
2、アーチャーが半分ロボ(どうみても、オートメイルには見えんかった)になってたとこ。

これらは、ちょっと……なんかありがちな安っぽいロボットものの設定ぽくって「え”ー」って。
いかにもメカヲタの野郎が作りそうな……。

そっちは置いておいて、あれで戦闘機なんか飛ばしちゃったもんだからせっかくの錬金戦に無理がかかりあのザマ。
(原作で、大質量の物では自重で崩れるって,きっちり言ってるのにさあ)
ま、ここでつっこみは止め。

劇場版はパラレルストーリィと、私の中で定義づけるのに殆ど成功したということです。
(パラレルワールドを扱ってるからそれもいいか)
そうすると、TV後半くらいからも当然もれなく引っかかってついてきちゃう訳だね。

もともと私、おもしろきゃ何でも許す!し、原作物はそのまんまじゃつまらんという奴だけれど、鋼に関しては、ビミョーに違うかなあ。
原作のおいしいエピソードてんこもり前半からズレていく小さなギャップの積み重ねが、頭の中にある続きはこう……っていうのとうまく噛み合っていかなかった。
やっぱ、原作好きすぎる私にはツラかった。
どうせなら、いっそう、もっと最初の頃からそうだったらよかったかもしれない。

ヘンな例えだけれど、私は卵焼き、砂糖が入ったの嫌いなのね。
塩、もしくは何も入ってないのは好き。
同じ素材なんだけれども、全く違う。
一口食べただけで「ぎゃーっ、砂糖入ってるーっ!」って。

前にLOSA様にいただいたコメントと同様、同じキャラで別の話を作ったとしか捉えられなく、それは私にとって砂糖入り卵焼きだった。
甘い卵焼きが好きな人は世の中にごまんといらっしゃる。
個人の好みは、その人その人のものだよね。

だから、二度目を観てもファーストインプレッションは変わらず、エピソードの中でどんなに各キャラがうまく動いて、それが理に適っていても、設定とか含まれている意図についていかれませんでした。

それでも、エドはエドだし、アルはアルなんだよねー。
困る……、すげー困るっ!

なんて、別に困りもしないか。
愚かなこと自覚し、感動も共感もあんまり出来なくてもただ観ていたら、きっといいんだろう。
(ヴィジュアル的にエドが動いているだけで、幸せ!っていう面もあるもの)

手離した時にやっと手に入れられるものもある。
(あれ……? それって,等価交換?)

だから、今回観に行くことが出来てよかった。
田舎でよかった。
(映画館の人、文句言って、ごめんよー! 深謝!)

本当に、私は諦めに行ってきたのだ。
かなりポジティヴに。


2005/10/06 シャンバラの夢。

とりとめもなく散らかされた、たくさんの断片をただつないでいくような……。

ーーエドワードは眠っていた。
そして、リゼンブールでの幸せな昔の夢をみていた。

ーーアルフォンスも眠っていた。
そして、兄が生きている場所、現在の夢をみていた。

ーーロマの娘が青年の夢を自分の手元にたぐり寄せる。

淵から陸に引き揚げられた夢は、ひとときだけ存在を許された。

そうして、夢の世界の住人も、現実というこれも夢かもしれない処で生きている住人も、織り混ざって嵐にさらされ……。

エドワードには、ものの境界線がひどく曖昧だった。
距離感が掴めない浮遊しているような日々。

けれども、死を迎えている者が散らした火花は、克明に輪郭を焼き付けていく。

”アルフォンス”という名の持つ二重の現実が彼に突きつけられた時、一層きつく青年はそこに繋ぎ留められた。

故郷を護るには、そこを夢の場所として自身を遠ざけるしかない……。
彼はもうはざまには居られなかった。

ーーだからアメストリスの国の者たちは、まるでエドワードの夢をみただけのように、ただ去っていった彼の、柔らかくでも鮮やかすぎる感触を解き放つ。

贈り物をもらったようにリアルなエドワードの夢をみて、そうして目醒めるとまた彼の居ないもとの日々があるだけ。
ウィンリィはそうなるのだと、わかっていた。
夢の中の出来事ならば、ただ流れに任せるしかないと。

ロイも、己の失った左目に亡い命たちを映し続ける日々の中、光を知る右目に確かにその姿を捉えたのだ。
一瞬の夢でもよかった。
うつろうのは当然なのだと、あの袂(たもと)別かった日から気づいていたのだから。

ーー大きなうねりが少年をさらっていく。
夢の海にずっと浸っていられた筈だった彼が決別を希(ねがっ)たから。

ひいていった波の爪痕だけが生々しく……でもすべてが夢であったかのように。
(みぎわ)の砂上に残された記憶、それを取り戻してもよかったものか……。
その他諸々の残された記憶、朽ち果てていく残骸と化し重荷になるだけかもしれない事実。

それでも、故郷を夢と葬送し、二人は何処(いずこ)へ行くというのか……。

かつて、誰かが口にしていた理想郷ーシャンバラーの名を踏み越えて。

2005.10.07御礼!
燃え尽きた……かも。

すっかり秋です。
”劇場版 鋼の錬金術師 シャンバラを征く者”の公開された夏はどんどん遠くなっていきます。

私も、昨日のブログでほぼ決着を付けたつもりであります。
(大ウソになるかもしれない)
もともと納得しないと引き下がれない負けず嫌いなところがあるんですが、そういうのも自分の為にはあんまりならんなあと思う今日この頃なので。
だから、後悔しないようにやりきる為に、一連の記事はかなり集中して考え抜いて書いてきたつもり(あくまでも、つもり。ご批判等は承知のうえ)です。

実のところ、まだつっこもうと思えば出来なくないところはあるんですが、『それやって何になるんよ?、わし』という訳で。
(他人さまがお書きになったものなどを読んで『うんうん、そうだ!』とか、友達との会話や公的に流れないメールなんかで文句言うのは有り。超卑怯者! ぎゃはは)

だって私の場合は続けたって、マズいことに冷静な検証を越えて、ただの難癖になっていくのは見えてるから。
既にそうなところも有るし(ははは……)

でも、それ以上に、2度目を観てなんとか離すことが出来かけています。

昨日、ブログで散文(いまいちこなれてなく駄文で失礼!)をアップしました。
あれを書く発端は、ウィンリィのあまりにあっさりとした態度はどーして?なんて考えていて、『そうかー、彼女は起こったことに現実感がなくて(エドと同じようだね)、やっぱり夢みたいだったんじゃないかなあ?』っていう仮説に達したので。
で、シャンバラって夢だったかなあ……などと。
それから、「夢の話になるでしょうね」っていうあいかわさんのコメントも、どっかにあった記憶が。

書き出したら、ああなりました。
絵を描く人間の書く文って,何だか宙に足浮いてるよね。(……おまえだけだよ、わし! 笑)

けれど、あれ書いたら『そうだったんだなあ』て,落ち着いてしまったんですよ。
自分の中で、きちんと(???)シャンバラの在処が出来たっていうか。

なので、今日の文はここで止めときます。
ちょっとクールダウンしまーす。

いただいているコメントにお返事してなくて、大変申し訳有りません、ですっ!
もうしばらくお待ちください。

あたしって,けっこう不器用なんです。
O型だから(爆笑)。
かんけーないけど、タレントのYouちゃんが昔ヴォーカルやってたバンド「フェアチャイルド」の曲に「O型でゴメンね」っていうのがありました。
あ、あたしみたいに大雑把で不器用じゃないO型の方々、失礼いたしましたー。

〜〜〜
アニメ版スタッフ様、方々のブログやHPの方々、それから忘れちゃならない偉大なる原作者荒川先生、散々喋くりまくった友達、……この混乱のブログにおつきあいくださった皆様、心より感謝いたしております!!!